川村貴教(45)はブラックスーツを着こなし、夜でも明るい都会の街中を歩いていた。
時計を見ると午後8時。
これでも早めに仕事を切り上げた方だ。
右手に下げた紙袋を握り締め、調べておいた店に向かった。
突然の出費への困惑

「入学金か……」
貴教と妻の真智は浅いため息をついた。
息子の健が私立高校に進学することが原因だ。
本来の予定では、県下有数の公立高校に入学するはずだった。
ところが受験でミスをしてしまい、健は第一志望の高校に不合格。滑り止めとして受験した私立高校への入学が決定した。
入学する私立高校も悪くはないのだ。むしろ学校自体は新しく設備も整っており、教員も優秀で環境は良いと思われた。
問題は入学費用である。
「入学金が30万円に、設備費と教科書代と制服代でざっと100万円……」
マイホームのローンと車のローンを払い続ける川村家にとって、100万円の急な出費は大問題だ。
「貯金から出せないわけじゃないんだけど……」
真智の言うとおり、毎年の家族旅行や外食の頻度を控えれば、出せない金額ではない。
とはいえ、突然蓄えが減ってしまうことにショックと不安を隠せなかった。
「両親に相談すれば出してくれる……と、思う」
「そこまでするほどじゃないわよ。それにお義母さんたちのお金はお義母さんたちが使うべき。私がなんとかやりくりします」
真智は言い切ったが、顔は不安げだ。
毎晩が白飯と味噌汁だけになる・楽しみにしている家族旅行もなし・お小遣いも50%ダウン、なんてことになるのだろうか……
「あ、あれは?不用品をアプリで売るやつ。すぐに現金が手に入るんじゃ」
「売ってお金になるものなんて、うちにあるかしら。二束三文じゃ足りないし」
「う〜ん……あっ!」
そこで貴教は思い出した。
若かりし日に、妻に内緒で買ったもののことを。
いらないものがお金に変わる!

「いらっしゃいませ」
貴教は紙袋を握りしめ、目当ての店のドアを開けた。
中はスッキリしていて落ち着く。
店員に促されるままブースに移動する。
「お売りになりたいものを見せていただけますか」
貴教は紙袋から1つのボックスを取り出した。
ロレックスの印字が施してある小さな箱だ。
「失礼いたします」
店員は丁寧にその箱を開け、中の腕時計を取り出した。
査定が始まったのだ。
貴教は真智と話していて思い出した。若かりし頃に内緒でロレックスを買ったことを。
一目惚れして買ったものだが、毎日着用するには重かった。
いつしかロレックスは箱に仕舞われて、貴教の書斎でひっそりと眠ることになった。
今回、それを貴教は買取専門店に持ち込んだ。
フリマアプリの利用は最初から考えていない。
どう考えても高額取引になる。つまり、トラブルの元になるからだ。
多少安くても、安全に現金化することを貴教は望んだ。だからハイブランドの買取専門店を選んだ。
「状態の良いディープシーですね。箱とギャランティカードもあり。お持ち込みいただきありがとうございます」
貴教が過去を振り返っている間に、査定は完了していた。
「査定額はこちらになります」
示された数字は、入学費用をはるかに上回るものだった。
家族の笑顔

「おお、よく似合ってる」
「本当。よく似合ってるわ」
「ありがと」
健の制服姿に、夫妻は目を細めた。
「早く友達ができるといいわね」
「部活は何に入るんだ?」
「まだ何にも分かんないよ」
家族3人で笑い合い、子どもの成長と進学を心から喜んだ。
あの日、帰宅後にディープシーを売ったお金を真智に見せたら「闇バイト!?なんてことを!」と大騒ぎしたのだが、落ち着かせて真実を話すと魂が抜けたようになった。
「これで入学費用は足りるだろ?」
「足りるけど……あなた、まさか他にも私に内緒で何か買ってたりしない?」
「えっ!」
「その顔は買ってるわね。いいわ。次の授業料はその何かを売って賄ってちょうだいね」
「ないない!もう何にもない!」
「最初の授業料支払いは3ヶ月後よ。当てにしてますからね」
「そ、そんなあ……」
予想外の展開にがっくりと方を落とす。
それでも、貴教はこの結果に満足していた。
家族皆が笑顔でいられるのは、ディープシーが高く売れたおかげだ。
資金集めに奔走することも、生活レベルを落とすこともなく、息子を高校にやれる。
そして3ヶ月後にはまた別の「書斎の肥やしになっている腕時計」を現金化しに行かなければ、と決意した。


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